您现在的位置: 虹之玉锦 > 虹之玉锦开花 > 正文 > 正文

中日大连诗歌朗诵会作品展示中日文对

  • 来源:本站原创
  • 时间:2021/3/21 4:19:10
北京中科白癜风医院价格 http://yyk.39.net/bj/zhuanke/89ac7.html

6月2日(本周二)PM4::00—6:00,中日诗人,齐聚汉风万和祥茶楼,朗诵、分享、交流。

水田宗子(MizutaNoriko)

  詩集に『春の終りに』、『幕間』、『炎える琥珀』、『帰路』、詩画集『サンタバーバラの夏休み』、『アムステルダムの結婚式』、『青い藻の海』などがある。著書『RealityandFictioninModernJapaneseLiterature』、『鏡の中の錯乱――シルヴィア?プラス詩選』、『ヒロインからヒーローへ――女性の自我と表現』、『ことばが紡ぐ羽衣』、『二十世紀の女性表現』、『女性学との出会い』、『モダニズムと〈戦後女性詩〉の展開』など多数。

深い眠りがあったら

深い眠りがあったら

目覚めてくるものがあろうに

季節が移れば

野の草も蕾を付けてくるように

列車に乗っているならば

後ろにおいていくものものに

別れの一瞥をなげかければいい

河の土手に立ちすくんでいた男

踏切で手をつないでいた幼い兄弟

すべては一瞬の決別

後ろに過ぎ去って行くスピードは

わたしの脚では

取り戻しに走れない

微睡んでいるのは

深い円筒の中

まわりながら

滑りながら

どこまで行っても不十分な

落下

底なしの誘惑

奈落まで落ちる覚悟でも

辿り着けない

傷口へ

目覚めが頼りの

願望

微睡んでいるのは谺の中

無すら反復する深い幻の谷間

霧の中から

還り続ける

音無しの音

過ぎ去らぬ時のエコー

詩は待っていてくれると

詩は待っていてくれると

T?S?エリオットは言った

魂は待っていてくれるだろうか

藪の中に潜んで

あるいは草原で寝転んで

わたしが追いつくのを

それとも

不意打ちをしてくれるだろうか

どこかで待ち伏せをして

辻斬りの腕でも試そうと

わたしも待っているのだろうか

こうして街を歩いていれば

あてどない放浪に似た

通過するばかりの

詩の中で

偶然出会うのではないか

向こうからこともなげに近づいてくる

見知らぬ国を通り過ぎていけば

突然背後から

呼び止められる

観光に訪れた

太古の廃墟で

地べたに座り込んでいるのではないか

わたしは見つめ続けてきた

爆発でできた宇宙が

ブラックホールに吸い込まれて

やがてすっかり消えてしまうように

わたしが記憶していた日々が

地の一点に吸い込まれていくのではと

それを見届けようと

この庭に舞い上がる

木の葉や灰塵に預けられた

魂のようなものが

徐々に

飛び散っていくのを

どこまで追っても

その先まで行き着けない

行く先定まらぬ旅路の物語を

どこかで語る詩人が現れるのを

詩はほんとうに

待っていてくれるのだろうか

水田宗子简介(田原、毛乙馨译)

水田宗子(MizutaNoriko,—),著名诗人和女性学批评家。生于东京一个政治家庭,父亲为引导日本经济腾飞连任数届的财政部长。美国耶鲁大学博士。著有诗集《归路》、《圣塔芭芭拉的暑假》等。以及评论集《从女主人公到英雄——女性的自我与表现》、《20世纪的女性表现——朝向性差异的外部》、《语言纺织羽衣——女性的行旅物语》以及数部英文专著等。曾先后获得过瑞典驻东京大使馆主办的马丁松国际诗歌奖等。现为日本城西大学理事长。

如若沉睡

如若沉睡

总有什么会来唤醒

正如时光荏苒

野草也会长出花蕾

如若搭乘列车

向车尾消逝的一切

投上离别的一瞥便已足够

河堤上呆立不动的男子

道口上牵着手年幼的兄弟

一切都是一瞬间的诀别

向后退去的速度

我的双脚

无法挽回

假寐

是在深深的圆筒中

绕啊绕

滑啊滑

无论到哪里都无法令人满意的

坠落

无底的诱惑

连一落到底的觉悟都

到达不了

向伤口

许下清醒借以仰仗的

愿望

假寐是在回声中

连“无”都会反复的幻觉之深谷

从雾里

不断还回的

无声之声

消不去的的时间回声

如果诗会等待

T?S?艾略特说过

诗歌会等我

那么,灵魂也会等我吧

藏于草丛

或卧躺草原

还是

突然袭击

我的苦苦追寻

总之它潜伏在某处

等待着尝试武士手腕的初斩

我好像也在等待吧

如果这样走在街上

犹如毫无目的地流浪

在刚刚经过的

诗歌中

难道不是有偶然遇见吗?

从对面满不在乎地靠近

如果穿越未知的国度

突然从背后

被人叫住

在旅行到访过的

太古的废墟上

难道不是席地而坐吗?

我不停地凝视

因爆炸而形成的宇宙

被黑洞吸入

仿佛很快消失殆尽一样

我记忆中的日子

也会被地上的某一点吸走

为见证这一切

寄存在花园里跳着舞的

树木叶子和灰尘里的

灵魂般的东西

慢慢地

飞散开去

无论追到哪里

再也捉不到

在某处讲述流浪旅途故事的诗人

现身之际

诗歌真的

能等我吗?

吉増剛造(YoshimasuGozou)

年、東京に生まれる。疎開先の和歌山で終戦をむかえる。年、慶応義塾大学文学部国文学科を卒業。18歳頃より詩を書きはじめる。年11月―年4月までアメリカのアイオア大学に留学。詩集に『出発』、『黄金詩篇』、『頭脳の塔』、『王国』、『吉増剛造詩集』(現代詩文庫三冊)など多数。

朝狂って

ぼくは誌を書く

第一行目を書く

彫刻刀が、朝狂って、立ちあがる

それがぼくの正義だ!

朝焼けや乳房が美しいとはかぎらない

美が第一とはかぎらない

全音楽はウソッぱちだ!

ああ なによりも、花という、花を閉鎖して、転落することだ!

一九六六年九月二十四日朝

ぼくは親しい友人に手紙を書いた

原罪について

完全犯罪と知識の絶滅法について

アア コレワ

なんという、薄紅色の掌にころがる水滴

珈琲皿に映ル乳房ョ!

転落デキナイョ!

剣の上をツツッと走ったが、消えないぞ世界!

燃焼

黄金の太刀が太陽を直視する

ああ

恒星面を通過する梨の花!

風吹く

アジアの一地帯

魂は車輪となって、雲の上を走っている

ぼくの意志

それは盲ることだ

太陽とリンゴになることだ

似ることじゃない

乳房に、太陽に、リンゴに、紙に、ペンに、インクに、夢に!なることだ

凄い韻律になればいいのさ

今夜、きみ

スポーツ?カーに乗って

流星を正面から

顔に刺青できるか、きみは!

吉增刚造(田原译)

年出生于东京,毕业于庆应大学文学部。为躲避战祸疏散到父亲的故乡和歌山。在驻扎有美军基地的城市长大。编辑过美术杂志,曾被邀请到美国爱荷华写作和执教。出版有诗集和随笔集《黄金诗篇》、《奥西里斯、石神》等数十种、

清晨发狂

我写诗

写下第一行

雕刀就发了狂,站立起来

那是我的正义!

朝霞和乳房未必很美

美也未必就是第一

所有的音乐都是胡扯

啊啊,最要紧的,是要让所有的花都闭合,凋落!

一九六六年九月二十四日晨

我给好友写信

关于原罪

关于真正的犯罪和知识灭绝法

啊啊,这是什么

滚落到粉红色手掌上的水滴

映在咖啡碟上的乳房哟

无法滚落!

在剑刃上呲呲奔跑,但世界会消失!

燃烧

黄金的长刀直视着太阳

啊啊

越过恒星面的梨花!

风吹动

亚洲的某一地带

灵魂化作车轮在云上飞奔

我的意志

是盲目的

是要变成太阳和苹果的

不是相似

而是要变成乳房、太阳、苹果、

纸张、笔墨和梦想!

总之变成绝妙的韵律就行

今夜,你

能驾驶赛车

让流星从正面

在脸上刺青吗?你!

西川(XiChuan)

年生于山东,年毕业于北京大学英文系。美国艾奥瓦大学年访问学者。现执教于北京中央美术学院人文学院。西川自80年代起即投身于全国性的青年诗歌运动。曾与友人创办民间诗歌刊物《倾向》(—),参与过民间诗歌刊物《现代汉诗》的编辑工作。其创作和诗歌理念在当代中国诗歌界影响广泛。出版有诗集、随笔集、翻译数十种。并先后被翻译成瑞典语、英语、法语、德语、意大利语在国外出版。

近景和远景:1、鸟

鸟是我们凭肉眼所能望见的最高处的生物,有时歌唱,有时诅咒,有时沉默.对于鸟之上的天空,我们一无所知:那里是非理性的王国,巨大无边的虚无;因此鸟是我们理性的边界,是宇宙秩序的支点。据说鸟能望日,至少鹰,作为鸟类之王,能够做到这一点;而假如我们斗胆窥日,一秒钟之后我们便会头晕目眩,六秒钟之后我们便会双目失明。传说宙斯化作一只天鹅与丽达成欢,上帝化作一只鸽子与玛丽亚交配。诗经上说:“天命玄鸟,降而生商。”尽管有人指出:玄鸟者,鸡巴也,但咱们或可不信。自降为鸟是上帝占有世界的手段,有似人间帝王为微服私访,须扮作他的仆人。因此上帝习惯于屈尊。因此鸟是大地与天空的中介,是横隔在人神之间的桌子,是阶梯,是通道,是半神。鸭嘴兽模仿鸟的外观,蝙蝠模仿鸟的飞翔,而笨重的家禽则堪称“堕落的天使”。我们所歌唱的鸟――它绚丽的羽毛,它轻盈的骨骼――仅仅是鸟的一半。鸟:神秘的生物,形而上的种子。

9、国家机器

在一个没有宗教、没有神话的国家,国家机器就是宗教,就是神话。你可以将它打碎,却不能将它运走;它虽然硕大无朋,却又像语言一样看不见摸不着。那些制服、那些电视画面、那些奖状以及那些文告,不过是日夜运转的国家机器的排泄物。它与自然状态下的国家是两回事。为了现实的好处,国家机器吞噬蔑视的一切。它从不把个人灵魂放在眼里。不过尽管如此,国家机器却很像一个人,拥有一个人全部的聪明和愚蠢:它有多大的虚荣就有多大的秘密,它有多大的力量就有多大的野蛮。而从百姓到君王,就像从脚趾到额头,这样一条漫长的攀升之路,坑害了数也数不清的野心家和马屁精!但是,与这些可怜虫的看法恰好相反,国家机器并不能由哪一个人来操纵,它有时甚至会一时兴起,把那发号施令的人碾个粉身碎骨,而且即使在这种情况下,它也能照样运转,日夜不停。

西川(竹内 新 訳)

1963年、山東省生まれ。本名、劉軍。『海子詩全編』の編集を行う。詩集、翻訳多数。その作品と思想は、同時代の青年詩人に広範な影響を与えている。

近景と遠景:1、鳥

鳥は、僕たち人間が肉眼によって眺めることのできる、一番高いところにいる生物だ。時に歌い、時に呪い、時に沈黙する。鳥の上方の空について、僕たちは何も知らない。そこは理性のおよばぬ王国。広大無辺の虚無が広がる。鳥は宇宙秩序の支点であり、その飛翔するところは僕たちの理性の辺境だ。鳥は太陽を望み見ることが可能だという。少なくとも鳥類の王である鷹にはそれができる。ところが、もし僕たちが思い切って太陽を窺い見たとしたら、一秒後には忽ち頭クラクラ目がくらみ、六秒後には両眼とも失明してしまう。天上の主ゼウスは白鳥となってレダと歓を尽くし、宇宙の主エホバは鳩となってマリアと交わったという。『詩経』には「天、玄鳥(つばめ)に命じて、降りて商を生ましむ」と書かれている。「玄鳥とは、男根なり」と言う人もいるけれど、とても信じられない。みずから降りて鳥となったのは、神が世界を独り占めにする手段なのであり、人間世界の帝王が粗末な格好に扮してお忍びをするには、その使用人の格好をしなければならないのに似ている。神は身をやつすのに慣れていたのだ。鳥は大地と空との仲立ちであり、人と神との間を隔てている机であり、梯子であり、通路だ。カモノハシは鳥の姿を真似、コウモリは鳥の飛翔を模倣し、そして鈍重な家禽は「堕落した天使」の呼び名を甘受する。僕たちの、歌う鳥(カナリア)――そのきらびやかな羽、そのなよなよとした骨格――は鳥としてやっと半人前だ。鳥、それは神秘の静物、形而上の種子だ。

9.国家機構

宗教もなく神話もない国家においては、国家機構そのものが宗教であり、神話だ。きみはそれを打ち砕くことはできても、運び去ることはできない。それは比類なく大きいのに、言葉と同じで、見ることも触ることもできない。制服、テレビ画面、賞状および公告は、日夜動いている国家機構の排泄物にすぎない。その機構は、自然状態における国家とは別のものだ。現実の利益のために、国家機構は、自身が蔑む一切のものを、己の組織の中に呑み込む。これまで一度だって個人の精神が眼中にあったことはない。しかしそれにも拘わらず、国家機構は非常に個人に似ていて、一個人の聡明と愚鈍のすべてを抱え持っている。大きな虚栄で突っ張るのは、たくさんの秘密を持つことであり、強大な力を持つのは、大きな野蛮を持つことだ。そして、足の先から頭のてっぺんに至るような、だらだら長い庶民から君王への成り上がりの道は、数え切れない野心家と御機嫌取りとを罠に陥れる!ただし、この哀れな立場を正反対から見ると、国家機構は、どんな個人の意のままにもならず、それは、一時期出現して命令を下した者の、身も骨も押し潰して粉々にし、しかも、そういう情況下でも、事はいつも通りに進行してゆき、昼も夜も停止することはないということだ。

骆英(LuoYing)

本名黄怒波,年生于兰州,长于宁夏。毕业于北京大学中文系,系中国作家协会会员、中国诗歌学会副会长、北京大学中国新诗研究所副所长、北京大学中国诗歌研究院副院长、中国登山协会特邀副主席。是中国第一位完成世界七大洲最高峰登顶和南北极探险的诗人。出版诗集《不要再爱我》、《拒绝忧郁》、《落英集》、《都市流浪集》、《空杯与空桌》、《小兔子》、《7+2登山日记》、《第九夜》、《知青日记及后记水?魅》和小说《蓝太阳》等。作品被译为英、法、德、日、韩、蒙古、土耳其等语种。

枯骨的父亲

父亲死了变成一个游魂因为他并没有坟墓

也许这是因为他打老蒋杀敌人的时候也很残酷

他肯定曾经把长长的刺刀尽力插入敌人的胸膛

那也许仅仅是另一个刚刚穿上军装的乡农

他在用一把药杀死自己的时候据说坚不出声

他翻滚打地紧紧地揪住自己的胸口

管教人员把他像狗一样倒拖着走时他不曾踢腿

我猜想那是一种表示忠诚的表现

仅仅十几分钟他就消失于乱坟岗中

因为那里早已由反革命份子挖好了无数的坑

在革命需要战斗的时候他曾战斗

在革命需要牺牲的时候他就牺牲

他以一种冰冷的方式消失于世界

他以一种残忍的程序留给我悲痛

从此他像狗死去了我呢像狗一样开始生存

我决不杀死自己然而我也决没有获得过新生

对每一块墓碑我都会致以崇高的敬意

对每一根白骨我都会尊称为父亲

我的名字叫黄玉平

已经记不清少年时被批斗过多少次了

但我记得我从来没有低过头

他们让我的同学拿着木头枪押我打我

下台后我就抄起凳子把他的头打破

当然也记不住少年时被痛打过多少回了

但我知道我从来没有告过饶

我会手持钢鞭把落单的打手打得皮开肉绽

我还会手握气枪把铅弹打在游泳的怀小子脸上

小城其实没有狼但我的灵魂总被撕咬

小城是塞外太阳明亮但我的心从来没有温暖过

这是一个故事讲出来有点凄凉

这是一种岁月想起来让人心伤

这是一段历史提起来无比耻辱

这是一个国家走过来伤痕累累

我们杀死过自己的父亲羞辱过自己的孩子

今天我们盛装下的胸口一定稳稳作痛

戈壁滩上的荒坟已经荡然无存了

过去吧那一种让人心酸的苦难岁月

駱英(竹内 新 訳)

1956年、甘粛省生まれ。本名、黄怒波。中坤グループ会長。『第九夜』など、詩集多数。旺盛な活動を継続し、その多くは、英語、仏語、日本語等に翻訳されている。

白骨の父 

父は死んだ さまよえる亡霊となった 何故なら彼には全く墓がなかったからだ

これは蒋総統を打ち負かし敵を殺したとき残酷だったからなのかも知れない

きっと彼は力まかせに長い銃剣を敵の胸に突き刺したことがあるのだ

それは やっと軍服に手を通したばかりの農民の別の姿にすぎなかったのかも知れない

彼はひとつかみの薬で自身を殺したとき断固として声を上げなかったそうだ

彼は転げ回って地面をたたき 己のみぞおちをきつくつかんだという

監督?教育担当が彼を犬のように倒して引きずるとき彼は脚をバタバタさせなかった

忠誠を示そうとする気持ちの表れではなかったのかと思う

彼はわずか十数分の間に誰も世話をする者のいない荒れた共同墓地へ消えていった

そこでは 反革命分子が無数の穴をすっかり掘り終えていたというわけだった

かつて彼は革命が戦闘を必要としたときに戦闘をしたのであり

革命が犠牲を必要とするときになってさっそく犠牲になったのだった

彼は氷のように冷たいやり方のうちにこの世から消え去った

彼はむごいプロセスを示して私につらい悲しみを残していった

このときから 彼の死は犬の死のようだった 私には犬のような生存が始まった

自らを殺すことは決してなかったが新しい生を獲得したということも断じてなかった

私はどんな墓碑に対してもきっと崇高な敬意を送ろうと思う

私はどんな白骨に対してもきっと父として尊敬しようと思う

私の名前は黄玉平 

少年のころ何度糾弾されたのかもうはっきり覚えていない

ただし一貫して一度も屈服しなかったことは覚えている

彼らがいくら同級生に木の槍を持たせて私を小突かせ殴らせても

私は舞台から下りるやさっと腰掛をつかみそいつの頭に殴りかかって傷を負わせた

もちろん少年のころに何度ぶん殴られたのかしっかり覚えているわけではない

ただし分かっている 一貫して一度も許しを請うことはなかった

私は孤立した手下どもをチェーンを手に皮膚が破れ血が出るまで打つことができた

私は空気銃を握り鉛玉を泳ぐワルガキの顔目がけて撃つこともできた

実際のところ田舎町に狼はいなかったが私の魂はしょっちゅう食い千切られていた

塞外の太陽は田舎町に明るく輝いたが私の心の温められることはずっとなかった

これは語り出せば少しばかり寂しい物語

これは思い出せば人の心を傷つけてしまう歳月

これは通り過ぎてゆけば傷跡累々たる国家

私たちは己の父を殺し己の子供を辱めてきた

今日 私たちの着飾った胸元には必ず痛みが見え隠れしている

砂漠の荒れ果てた墓地の土饅頭はすっかり消えてしまい何も残っていない

過ぎ去れ 人の胸をしめつける苦難の歳月よ

麦城(MaiCheng)

出生于沈阳、生活在大连。年从事诗歌创作。曾于年出版《麦城诗集》,作品多次在《人民文学》等刊物上发表,并参加了年日本世界诗人大会。先后在国外出版有日语、法语、瑞典语诗集。

彼与此

石匠

捡起地上的一块石头

远远扔了出去

石头越过一座大山

在大山的后面

重重地落了下去

石匠

翻过山脉后

落地的石头

已变成了另一座大山

石匠莫名其妙

明明扔出去的是一块石头

转眼之间

怎么变成了大山

回到村子

他把疑惑讲给乡亲们听

男女老少纷纷替他猜解

大山是什么?

大山就是石头里的石头

你是什么?

你就是我里面的他

我是设么?

我就是他里面的我们

我们是什么?

我们就是人间的石头

抽屉里的写作

小时候

对抽屉有一种特殊的神秘感

比如糖,比如饼干

比如钱,比如粮票

比如印在糖纸上的“最高指示”

比如烘烤在饼干上

却比饼干还要挨的更近的

穷和饿在童年里的相互停顿

统统锁在那里

抽屉

又常常是放手枪的地方

比如手枪里的电影

或是电影里的手枪

都没离开过抽屉

抽屉里的抽屉

大多不是为了自卫

而是用于自杀

自杀为何选择在抽屉里?

据说,持机密者的死

亦属国家机密

长达以后

我也有了自己的抽屉

可抽屉里

除了放几粒药片

铅笔,稿纸

和用于护理远方友情的地址

别的什么也没有

不久前

我偷偷地买了一把玩具手枪

放在了抽屉里

试想着

自杀给死亡

带来了什么样的保证

麦城(竹内 新 訳)

1962年、遼寧省生まれ。本名、王強。作品は『今天』、『上海文学』等に発表、独自の詩的世界を構築している。詩集『麦城詩集』、『浮遊する言葉』等。大連市在住。

あちらとこちら

石工が

地面の石ころを拾い上げて

彼方へ放り投げたが

石は大山を飛び越えて

その向こう側へ

いかにも重そうに落ちていった

石工が

山脈を裏返してみたところ

落ちた石は

すでにもう一つの大山に変わっていた

石工は何がどうなったか訳が分からなかった

放り投げたのは明らかに石ころひとつ

どうして瞬く間に

大山に変わってしまったのだ

村に戻り

彼は合点がいかないと皆の衆に話を聞いてもらった

彼に代わって老若男女が次々に謎解きをした

大山は何なのだ?

大山とはつまり石のなかの石なのだ

おまえは何なのだ?

おまえとはつまり俺のなかのあいつなのだ

俺は何なのだ?

俺とはつまりあいつのなかの俺たちなのだ

俺たちは何なのだ?

俺たちとはつまりこの世の中の石ころなのだ

引き出しの話

小さいころ

引き出しに対しては特別に神秘の感情を抱いたものだった

たとえば飴だ たとえば主食配給切符だ

たとえば飴の包み紙に印刷された“最高指示”だ

たとえばビスケットに残るあぶり跡だ

だがビスケットよりももっと間近にやって来ようとしていた

困窮と飢えが私の幼年時代に相互の関係の中断をもたらした

今すべてはそこに幽閉状態だ

また引き出しは

日頃ピストルを置いておく場所だった

たとえばピストルにおける映画

或いは映画におけるピストル

どちらも引き出しから離れたことがなかった

引き出しのなかのピストルの

大多数は自衛のためなのではなく

自殺用なのであった

自殺に何故引き出しのものを選んだのだろう?

聞くところによれば 機密を持つ者の死は

また国家機密に属するのだという

大人になってから

私も自身の引き出しを持った

だが引き出しのなかは

錠剤が何粒か置いてあるのを除けば

鉛筆 原稿用紙

そして遠方との友情を守り育む住所ぐらいで

他には何もないのである

先ごろ

私はひそかに玩具のピストルを買い

引き出しに入れて

考えてみたのだった

自殺は死に対して

どのようなことを請け合うのだろうかと

潇潇(Xiao Xiao)

诗人、画家。“为你读诗”客户端副总编、《大诗歌》、《青海湖国际诗歌节特刊》执行主编。年主编了中国现代诗编年史丛书《前朦胧诗全集》《朦胧诗全集》《后朦胧诗全集》《中国当代诗歌批评全集》。出版诗集有:《树下的女人与诗歌》《踮起脚尖的时间》等。有诗作被翻译成德、英、日、法、波斯语、阿拉伯语、印度语、罗马尼亚语等。曾获首届“探索诗”奖、“中国第三代诗歌功德奖”、“汶川抗震救灾优秀志愿者奖”、“第二届中国诗剧场?诗歌奖”。第五届“闻一多诗歌奖”、“第一朗读者诗歌成就奖”、《现代青年》年度人物?最佳青年诗人、“为你读诗”首推封面诗人(年)。

石榴绽开的深处

这个下午,虚构瞬间

石榴熟透了,结满了枝头

我们轻言细语,保持着现实的距离

雷池在眼光中逾越

天机就要在宿命中泄露

暴雨骤然降临

贯穿了整整一个下午

仿佛洞悉了一切

我们风平浪静的脸上

危情四伏

我的心隐隐作痛

在石榴绽开的深处,悄悄碎裂

庐山中秋月

中秋,那一枝

挂在天上的金币

一代又一代

支付着人类膨胀的开支

世界都市的夜晚灯火透明

月色像做旧的亚光玻璃

被人类的小聪明索取

装饰纸上的山水

如一块照耀的伤疤

灯火打劫的黑夜

出版动物的恐惧

人间被生物钟敲乱

随着收割海啸、飓风

与大地震的年月,开始虚脱

一只塑料真理的胖手

操控文明浮肿的身躯

死神折断时间的箭头

怒视着,咬牙切齿

而今夜,我逃离

都市的光明和陷进高楼的肉体

到庐山,对镜梳妆

一捧月光流水

面貌纯净

抬头,雨后山间的松枝

连着高空与远方

中秋月亮的珍珠,挣脱痛

落满了我揣在怀里的庐山

瀟瀟(竹内 新 訳)

60年代初、四川省生まれ。本名、高娜。詩集『樹下の女と詩歌』等。『前朦朧詩全集』、『朦朧詩全集』、『後朦朧詩全集』の主編を務めた。『現代詩歌報』執行主編。

柘榴の割れる深い場所

その午後は 虚構の時間だった

柘榴は枝という枝に垂れ すっかり熟れていた

私たちはそっとささやき合い 現実の距離は保ちながら

越えるべき境界は眼差しのなかで飛び越えた

天意は運命のなかに漏れなければならない

大雨が突然やってきて

まるで一切を見透かすかのように

午後を始まりから終わりまで貫いていった

何事もなかったかのような私たちの平静な顔は

至るところに危機的状況が潜んでいたのだった

私の心は人知れず痛んできて

柘榴の割れる深い場所で しょんぼり砕け散った

廬山中秋の月

中秋になると 空に

懸かる一枚の金貨

一代また一代と

人類膨張の経費を支払っている

世界の都市の夜間照明は透きとおっているけれども

月の光は骨董に似せてあまり光らないガラスのようだ

人類の小賢しさが希求の

飾り紙のうえの山水は

照り輝く傷跡のようだ

照明が闇夜を奪い取り

動物の恐怖が本になり

人間世界は生き物から警鐘を乱打されている

津波や台風を収穫した上に

大地震の年月が加われば 虚脱感の始まり

プラスティック製の真理の肥った手が

文明のむくんだ身体をコントロールしている

死神は時間の矢印を折って

怒りの眼差しで 歯ぎしりしている

そして今夜 私は都市の明かりと

高層ビルにはまり込んだ肉体から逃れ

廬山にやって来て 鏡の前で化粧をしている

両の掌に月の光の流れを掬いとって

清らかで透きとおるその様子に

見上げれば 雨上がりの谷川の松ヶ枝に

高い空が連なり

彼方の中秋の月が真珠となって連なり それは痛みから脱け出すと

私が胸にしまい込んだ廬山の 至るところに落ちた

宁明(NingMing)

宁明,原空军大校,特级飞行员。毕业于俄罗斯联邦空军军事学院,研究生学历。国家一级作家,中国作家协会会员,辽宁省作家协会理事,大连市作家协会副主席。出版诗集《态度》等20部,散文集《飞行者》。曾被评为首届中国十佳军旅诗人,获第八届辽宁文学奖诗歌奖、首届中国屈原诗歌奖特别奖、第四届和第六届全国冰心散文奖等。

墓碑

当我永远躺下的时候

这块一直躺着的石头,才能站立起来

墓碑是我身后最坚定的影子

不论头顶上有没有阳光

从此,它都不会离我而去

我决不相信刻在墓碑上的颂辞

永垂不朽多么自欺欺人!

真正的碑文写在背面

虽无一字,真心怀念我的人

都能读懂

人已死,爱与恨皆被放下

如果,有“情敌”寻来

将墓碑愤恨地推倒,或拦腰砍断

我一定装作视而不见

决不会从碑后站出来,把这块

受委屈的石头,重新扶起

寧明(竹内新 訳)

墓碑

私が永遠に横たわるというとき

それまで横になっていた石は やっと立ち上がることができる

墓碑は私の死後の最も揺るぎのない姿である

脳天に陽の光のあるなしは問題ではない

それからそれは 私から去ることなどないだろう

私は墓碑に刻まれた賛辞など決して信じない

永遠に不滅などという言葉 それがどれほど自らも人をも欺くことか!

本当の墓碑銘は裏側にある

一文字も書かれていなくても 真心から懐かしんでくれる人なら

誰だって読んで理解できるのである

人が死ねば 愛と恨みは残らず放置される

もしも 〈恋敵〉が尋ねてきて

怒りと恨みで墓碑を押し倒しても 或いは真っ二つに叩き割っても

私はきっと見て見ぬふりをするだろう

決して 墓碑の後ろから立ち上がって

恨み辛みを耐え忍んだ石を 再び支え立たせることなどしないのである

孙甲仁(SunJiaren)

孙甲仁,字尔。大连人,曾为海军军人,现为职业投资人,专注于股权投资和基金管理;上个世纪80年代开始文学创作,小说、诗歌、散文等散见于中国《人民日报》、《青年文学》,日本《关西华文时报》等报刊;著有诗集4部,小说集1部。大连市作家协会主席团委员、诗歌创作委员会主任。

听雾

双手和一闭上双目

于静默之中期待

某种奇妙的足音

这足音如梦之羽

浩浩然放肆而温柔

荡向肌肤和心灵

然后又反弹开来

如此周而复始

四周轰然如潮

我知道这便是雾声了

其声汪洋肆意

淹没涛声和鸟鸣

淹没心的律动

以致周身飘然而起

与雾声一起浩荡

就这样在滨海的悬崖上

我有意无意地

将自己变成

东山魁夷笔下的

一只水鸟

孫甲仁(竹内新 訳)

大連人。もと海軍軍人。現在、投資家。小説、詩、散文等を『人民日報』、日本の『関西華文時報』等に発表。詩集4冊等。大連市詩歌創作委員会主任。

霧を聴く

両手を合わせ 両目を閉じ

沈黙のうちに 何かの

不思議な足音を期待する

その足音は夢の羽のようで

広々として気ままに穏やかで

皮膚と心の方へ揺らめき

そうしてまた元にもどり

そのようにして絶えず巡っている

周りを潮のような大音響

私には分かる それは霧の音なのである

その音は大らかに意のままに

大波の音や鳥の声を覆い

心のリズムを覆い

そこで全身はゆらりゆらり立ち上がり

霧の音といっしょに広々と果てしない

かくして 海辺の切り立つ崖の上で

私は何気なく

自身を

東山魁夷描くところの

水鳥に変えるのである

季士君(JiShiJun)

季士君,年3月出生,现供职于辽宁大连金州新区政策研究室。中国诗歌学会会员,大连作家协会会员。在中国《诗刊》等报刊发表诗歌作品,曾获得《诗刊》社主办的全国朗诵诗大赛一等奖等奖项,有作品入选多种选本。

打银器的人

打银器的人

用细腻的构思和娴熟的手艺

为生活錾出花纹

将一个个日子和心愿

都嵌入了深深的祝福

在熟悉的工序里

银以渐进的方式

从坚硬到柔软

再从柔软到坚硬

每一个不动声色的瞬间

都经历着物理和化学反应

让金属回到金属

让银比银更高贵

而器物的内部保持着传统的光芒

民俗成为最真实的材料

一锤一锤

为小草敲打出盎然

为花朵敲打出芳香

一锤一锤

为云鬓间的蝴蝶敲打出曼妙的舞姿

为手腕上的凤凰敲打出袅娜的腰身

然后用风情的火焰

将一双如火的眼神

淬炼成爱情的形状

精心雕琢的细节

就是佩戴一生的惊喜

信手拈来的灵动

让古往今来的等待变得鲜亮生动

想象与爱此刻

都飞舞成图案和图案上的纹饰

我真的想成为他手里的一件银器

表情如意内心吉祥

季士君(竹内新 訳)

  1969年生まれ。大連金州新区政策研究室に勤務。『詩刊』等に詩を発表。『詩刊』社主催の全国朗読詩大会で一等賞を受賞。中国詩歌学会会員等。

銀細工職人

銀細工職人は

念入りな構想と熟練の技を使って

生活のために鏨で飾り模様を刻み

日々の一つ一つと願いに

心の奥から祝福を嵌め込む

習熟の手順のうちに

銀は 少しずつ進むやり方で

堅さから柔らかさへ

そして柔らかさから堅さへ

表情や声の表われない一瞬一瞬に

物理と化学の反応を経つつ

金属を金属にもどし

銀を銀よりも高貴にする

細工の内部には伝統の光が保たれている

庶民の風俗習慣は 何よりの真実の素材になる

鏨の一打ち一打ち

豊かな黒髪の間の蝶のために優美な舞い姿を打ち出す

手首の鳳凰のためにたおやかな腰回りを打ち出す

そうしたら風雅の炎を使い

火のような眼差しで鍛え

愛情の形にする

入念に彫琢した細部こそは

一生身に付けていられる驚嘆の喜びだ

次々に素材を使いこなす機敏さに

古来待機していたものが艶やかで生き生きしたものに変わる

想像と愛が このとき

ともに舞い飛んで図案となりそのなかの文様となる

私は心底彼の掌の銀製品になりたい

表に出る姿は思い通りに 心の内には目出度いことが

大连点点(DaLiandiandian)

大连点点,本名姜秀莎,教师。有诗若干发于《诗刊》、《星星》诗刊等文学期刊,有作品收入多种诗选集,出版了个人诗集《点点感觉》。

啊,南山

时间经常停止

有时候

时间也停止在西山北山东山

仿佛分不清输赢的游戏

突然被一颗伸出的手指打断

一发不可收的

不光是野草

暗示结束

他翻出旧账

一锹一锹挖下去

他回头

像一再回头的风雨

总能一眼认出扛不住疼痛的人

所有的反对无效

啊,南山

对号入座的南山

从不让你瞥见自己的后背

最脆弱的地方

你从来――

看不见它

大連点点(竹内新 訳)

  本名、姜秀莎。教員。幾篇かの作品は『詩刊』、『星星』等の定期刊行物に発表、多数のアンソロジーに収められている。詩集、『点点感覚』。

ああ 南山

時間はしょっちゅう停止する

ある時は

西山でも北山でも東山でも停止する

まるで勝ち負けの決まらないゲームのように

伸びてきた指でいきなり中断させられる

ひとたび始まったらもう止まらないというのは

野の雑草だけにとどまらない

暗に収束を示して

彼は昔の過ちをひっくり返して取り出す

一すき一すき掘り進み

何度も振り返る風雨のように

振り返り いつだって

痛みを我慢できていない人のことを一目で見抜くのだ

あらゆる反対には効力がない

ああ 南山

座席が指定になっている南山

おまえにはおまえの背中を 最も脆くて弱い場所を

チラリとでも見せてやらなかった

おまえはこれまでずっと――

そこが見えていなかった

郭玉铸(GuoYuzhu)

郭玉铸,出版诗集《第一夜:旗帜》、《第二夜:照耀》、《穿透岁月的阳光》等,大量文学作品在《世界汉诗》、《世界华文作家》、《世界汉语文学》等报刊发表。大连市作家协会诗歌创作委员会副主任,大连金州新区作家协会副主席。在高校从事教育工作,教授,供职大连理工大学城市学院。

虹的记忆

彩色的虹掠过眉梢

是我一次想你的

记忆在雨季的最后一天

我仅仅剩下

对你的怀念简单的心情

此时虹的飞翔

使我有一种刻骨的

倾心

倾心荒凉的流浪回到夏天

像虹穿破大海的波心

回到蔚蓝

拾起的羽翅让托浮的微风

充满你遗落的幸福

像海洋盛满鱼群的翱翔

从此开始我在所有清冷的季节

想起虹想起

在风之峰的那段渴望我都

像象出你忧郁的吻

在我灵魂之上的种种

微痕那些不醒的梦

将我的爱和忧伤覆盖

雨季的虹

是一枚岁月的怀中盛开的花朵

穿过那些美丽的光芒的词汇

请让我回去

返回白色之外记忆的荫

返回虹的核

返回那段掠过而又永恒的

滴落

郭玉鋳(竹内新 訳)

 大連理工大学城市学院教授。詩集、『第一夜:旗幟』、『第二夜:照耀』等。作品は『世界漢詩』、『世界華文作家』等に発表。大連市作家協会詩歌創作委員会副主任。

虹の記憶

虹の彩りが   眉の端を掠めた

それが君のことを想った最初だ

記憶は   雨の季節の最後の一日

辛うじて残っているのは

懐かしさ   単純明瞭な気持ち

その時   天翔ける虹が

君への慕情を

心に深く刻んだのだった

慕情空しくさまよいまた夏になり

虹のように   海を突き抜ける波の心のように

また紺碧になり

拾い上げた羽は   微風に託して浮かべ

君が残していった幸せをそこに満たそう

海に豊かに群れる魚群の遊泳のように

そこが始まりだ   私はあらゆる肌寒い季節に

虹を想い出し   風の峰の

あの渇望を想い出そう   私の心に

残る様々な小さな傷に

君の憂鬱な口元を

いつも想像しよう   まだ醒めていない夢が

私の愛と憂いに   蓋をしている

雨の季節の虹は

歳月の小さな胸懐に   大きく咲いた花びらだ

どうぞ 麗しいきらめきの言葉を通り抜けて

私を帰らせてくれ

白色の外にある記憶の陰に戻らせよ

虹の真ん中に戻らせよ

掠め過ぎて永遠に滴るもののところへ

戻らせよ

曾晖(Zenghui)

曾晖,现供职于普兰店市旅游局。中国诗歌学会会员、辽宁省作协会员、大连市作协理事。年开始创作,作品散见于《诗刊》《人民日报》《文汇报》(香港)、《葡萄园》(台湾)等。年出版个人诗集《失语的灯笼》

舞者

我是一个孤独的舞者

一边奔跑

一边高举每一朵轻盈的

灯火

我的爱情

就是这一边开放

一边飘落的小小烟火

现在,我就是这枝头一个孤独的舞者

每一片落英

都像是越走越远却越来越清晰的往事

打着旋儿

舞一曲生命的悲歌

我宁愿被这漫天的大雪温暖包裹

花非花,雾非雾

是谁在繁华里遭遇沉默

是谁在梦境遭遇这五月的大火

樱花树下,我象一只蛹

脱去了前世的躯壳

那倾情的舞蹈,越来越轻

却越来越接近生命里最辉煌的段落

在拥抱的时刻走散

在相视的片刻失忆

我的白发

在谁的镜前无声地滑落

樱花啊,樱花啊

那怒放在天空里的歌唱

我写给你的落了一地的诗笺

可如你所愿?

曾暉(竹内新 訳)

  普蘭店市観光局に勤務。作品は『詩刊』、『人民日報』、『文匯報』(香港)、『葡萄園』(台湾)等に発表。詩集、『失語の灯篭』。中国詩歌学会会員等。

ダンサー

私は孤独なダンサー

駆け巡りながら

軽やかな灯りを

一つ一つ高々と差し上げる

私の愛とは

一方で咲き

一方で舞い散る小さな火と煙

今 私とはこの枝の孤独なダンサー

どの落花も

ますます遠くなるのにますます明瞭になる往時のように

くるくる渦を巻きながら

命の悲歌を舞う

私はいっそ天を覆う大雪に暖かく包まれたい

花は花に非ず 霧は霧に非ず

誰だ にぎわいのなかで沈黙に出会うのは

誰だ 夢に五月の大きな火に出会うのは

桜の木の下で 私は蛹のように

前世の肉体を脱ぎ去り

思いを込めた踊りは ますます軽やかになり

命の最も輝くステージにますます近づいている

抱き合う時間は四散してゆく

見つめ合う束の間は忘れ去られる

私の白髪は

誰の鏡の前で音もなく滑り落ちるのだ

桜の花よ 桜の花よ

空で花の盛りの歌よ

私がおまえに書いた舞い散る用箋は

おまえの望みどおりのものか?

姜春浩(JIANGChunhao)

姜春浩,大连市普兰店电视台专题部主任。辽宁省作家协会会员,辽宁散文学会常务理事、副秘书长。《海燕》文学杂志社特约编辑。曾在《中华文学选刊》、《诗潮》、《鸭绿江》等刊物发表文学作品,作品入选人民文学出版社《年度最佳散文选》、《全国优秀诗歌年选》、《当代新现实主义诗歌年选》等选本。著有散文集《夜吟》,诗集《最后的苹果》。

看桃花

早就说去看桃花

在一片园子里遇上

春风

灼灼笑靥,润白山水

朵朵眼神,痴了心情

早就说过要离开这里

寻一处新村,觅一片清净

和一位痴情女子

读诗,泼墨

刺绣,品茗

我看她的眼,像桃花

她看我的眼,是她的眼睛

世俗在千里之外

喧嚣只来自蜜蜂

她拽着握手看绣布上的春桃

那是她的心事,在枝头颤动

没有太多语言

我的心已无法平静

早就说过要去看桃花

那些穿越时光的灯

漫步于流香的草木

踯躅于戏台的念白――

去年今日此们中

人面桃花相映红

早就在寻找前世的面孔

在流水的拐弯处

桃花是淡淡的羞红

桃花是等我的

人名

姜春浩(竹内新 訳)

  大連市普蘭店テレビ局特集部主任。『海燕』文学雑誌社特約編集。作品は『中華文学選刊』等に発表、『全国優秀詩歌選』等に入集。詩集、『最後の林檎』。遼寧省作家協会会員等。

桃の花を見る

とっくに言いましたよ 桃の花を見に行って

桃畑で

春の風に出会いましょうと

きらきら光る笑顔 しっとりする景色

花ごとの眼差し うっとり気分

とっくに言っていましたよ ここを離れて

新し村を尋ねて 安らかな静けさと

一途な思いの娘を探そうと

詩を朗読し 山水を描き

刺繍をして 茶を賞味する

私は彼女の目を見る 桃の花のよう

彼女は私の目を見る 彼女の見つめる目

世俗は千里の向こう

喧噪は蜜蜂からやって来るだけ

彼女は私の手を引っ張り 刺繍布の春の桃の木を見やる

それはが女の心配事 枝先でふるえている

多く語り過ぎることはない

私の心はすでに落ち着いていられない

とっくに言いましたよ 桃の花を見に行こうと

時を通り抜けてきた灯りたちを見に行こうと

香り漂う草木の間をそぞろに歩こう

芝居の舞台の台詞の間をさまよい行こう――

去年の今日 此の門の中

人面桃花 相映じて紅なり

とっくに前世の人の顔を尋ねましたよ

流れる水の湾曲するところ

桃の花は淡い恥じらいの紅がさし

桃の花は我が名前を

待っていましたよ

李皓(LiHao)

李皓,中国作家协会会员,辽宁省作家协会理事。年开始写诗,曾在《人民日报》《人民文学》《诗刊》等发表诗歌。著有诗集《击木而歌》。文学硕士,大连《海燕》文学月刊主编。

与春雨书

妈,你总是能在我干渴的时候

递来一瓢水。一下子

春天就有了春天的模样,我

就有了男人的模样

我是说,天色暗下来的时候

我一定会荒不择路地往家里跑

漏雨的老屋

雨水滴在水缸里

妈妈的眼泪

滴在我的心坎上

李晧(竹内新 訳)

  文学修士。大連月刊文芸誌『海燕』の主編。作品は、かつて『人民日報』、『人民文学』、『詩刊』等に発表。詩集、『木を打って歌う』。中国作家協会会員等。

春雨に与うる書

母さん 僕の喉がからからに渇いたとき 母さんはいつだって

柄杓の水を手渡すことができた。そのとたんに

春には春の感じが出てきて 僕は

男らしくなってきたよ

そうだよ 空が暗くなってくるころ

僕は慌てて道を間違えることなく 必ず家に向かって走れた

雨漏りのする古屋だった

雨水が雫となって水がめに落ちた

母さんの涙は

雫となって僕の心の窪みに落ちるよ

大路朝天(DaLuChaotian)

大路朝天,原名刘浩涌,年生,蒙古族。辽宁省蒙古族经济文化促进会理事,大连市作家协会诗歌创作委员会副主任。年创办大路诗歌论坛,年入选大连市十位有影响的文艺人物。年诗集《写到舒服为止》获辽宁文学奖。

做只动物是多么不容易

那只精灵的藏羚羊

在发现枪口和雪豹的一瞬

闪电一样跃起来

那些修行者

努力平息着身体里的电

下意识地隐居林泉

把自己变成食草动物

他们洞明披着人皮的社会里

那些四伏的虎狼之心

大路朝天(竹内新 訳)

  1972年生まれ。本名、劉浩涌。モンゴル族。遼寧省モンゴル族経済文化促進会理事等。2009年、詩集『心が晴れるまで書いてお終いに』で遼寧文学賞を受賞。

動物を装うのは何とも難しい

妖怪であるチベットカモシカは

銃口とユキヒョウを見つけた瞬間に

稲妻のごとく跳びはねる

修行者たちは

身中の稲妻を懸命に鎮め

意識下で隠棲の暮らしをして

己を草食動物に変える

彼らは 人の皮をかぶる社会の至るところに

孕まれた虎狼の心を見通している

李佳忆(LiJiayi)

生于七十年代,现居大连。辽宁文学院第二届编剧班学员、首届网络作家班学员。曾获大连市最佳诗人奖。作品散见《鸭绿江》、《中国铁路文艺》、《中国诗人》、《辽宁诗界》、《东北诗歌年鉴》、《新世纪诗选》、《新诗大观》、《诗文杂志》、《诗选刊》、《诗歌月刊》、《稻香诗报》、《阵地诗报》、《网络诗》、《天津诗人》等。

活着

扔下种子,不管山间

草丛,水域附近和

更远的山顶,都可以生长

或成材。我敬服于它的适应能力

感叹隐忍与迎合。它始终允许

我们修剪

用我们的方式

一切法门固像衡定

只有打开意象,便打开了全部

包括种子的构造和衍生

对于它的期许,脉络

已标明方向。用血与火勾兑

总可以修复坍塌

把所有交付出去

交给混沌

交给极

交出固态的自己,包括

根深处的年轮和细小

晨昏更迭与破败,仍能坚持

旺盛底气。余下的部分

用冥想

完成

李佳憶(竹内新 訳)

  70年代生まれ。遼寧文学院第二期脚本グループ受講生。第一期インターネット作家グループ受講生。〈大連市最佳詩人賞〉受賞。作品は『鴨緑江』等に発表。

妙手

種子を捨てておけば そこが山中でも

草叢でも 水辺や

もっと遥かな山頂でも どこでも成長し

材となることができる 私はその適応能力に感心することしきり

隠忍と迎合に感嘆する それは私たちが

私たちのやり方で剪定してしまうのを

終始一貫して許容している

すべての手順はもともと推し量ることに似ている

イメージを繰り広げることによってこそ 全部が展開できるのだ

種子を包んでいるその仕組み 単純から複雑へ

それに対する期待と その道筋と

すでに方向ははっきり示されている 血と火を調合すれば

崩れても倒れても修復はいつでも可能だ

あらゆるものを提供してくれる

カオスを差し出し

盛りを差し出し

固体である己を差し出しても 根の深いところに

年輪と細部を包み込んでいる

朝と夕は入れ替わっても 崩れたり衰退したりしても 旺盛な勢いは

元どおりに保つことができる 残りの部分は

冥想にふければ

出来上がる

田原(TianYuan)

诗人、文学博士(日本文学)。年生于河南漯河,先后出版过《田原诗选》(人民文学出版社年)等五本诗集。在台湾、中国国内和美国获得过华文诗歌文学奖。年用日语创作的三首现代诗获日本第一届“留学生文学奖”。在日本出版有日语诗集《岸的诞生》(思潮社年)和《石头的记忆》(思潮社年),后者获日本年度第60届“H氏诗歌大奖”。年获第十届上海文学奖等。主编有日文版《谷川俊太郎诗选集》(集英社文库版三卷年)。在国内、新加坡、香港翻译出版有《谷川俊太郎诗选》(河北教育出版社年)、《异邦人――辻井乔诗选》(人民文学出版作品被译成英、法、德、意、蒙等外国语。最近出版有文库版日文版诗选《田原诗集》(思潮社年3月)。

梅雨

梅雨淋不湿垂直落下的梅香

被风吹弯的伞上

结结巴巴的雨滴

渴望着丝绸之旅

梅雨打湿的只是从脚下

消失的地平线。远方

藏起回声的山

仿佛巨大的海绵

贪婪地吸吮着

雨粒雨粒

树在尽情的沐浴里

让绿更深一层

闷居在天空的太阳

等腻了自己的裸身

在霉菌悄悄蔓延于月亮的背面时

朽木构思着蘑菇的形状

深夜

树木们假寐着生长

星星的絮语依旧璀璨

像一桩透明的往事

梦医院墙外

狂奔。像一匹剽悍的野驴

他的高喊使医生病倒

如同患了绝症

渔火明灭在梦的尽头

船头上,渔民解开鱼鹰脖子上的绳

将鱼鹰的脚拴绑在船尾

鱼鹰的翅膀抖落的水珠

淋湿星星

船走破了鞋,生锈的锚

思念着故乡的码头

云在云里酣睡

梦见软绵绵的枕头开花

开出时间的颜色

深夜与大海同类

它无底的沉默似一种宽容

承受着鼓帆的飘动

河流向河,山蜿蜒着山

水和石头的胳膊

挽紧着大地

夜空录下了处女的梦话

和牙齿的磨擦声

稻草人被绷得紧紧的腿

跳着独步舞

在大地的裂缝里深入浅出

汗水淹没的欲望里

女人被压迫的声音

使夜更深

其实,黑暗的深处是碧蓝的

像丰秋沉甸甸的一句祝福

像子宫里打盹的胎儿的心

田原

年11月10日中国河南省生まれ。91年5月来日留学。年『谷川俊太郎論』で文学博士号取得。日本語の詩集『石の記憶』、『田原詩集』(現代詩文庫)などがある。

梅雨

垂直に落下する梅の香りは梅雨に濡れない

風にたわむ傘の上で口ごもる雨の滴りは

シルク?ロードを旅したがっている

濡れたのは足元から消えた地平線だけ

山は風のこだまを隠して

スポンジのように雨水を貪婪に吸い込む

木の葉は思いきり雨粒を浴びながら緑を深めていく

空の奥にくすぶっている太陽はみずからの裸を待ちあぐむ

かびが密かに月の裏側にはびこっていくうちに

朽木はキノコの形を構想している

深夜

木々は仮寝して生長する

星々の呟きは依然として煌めく

まるで透明な思い出のように

夢遊病者は平屋の病院の塀の外で

狂奔する 一頭の野生の驢馬のようだ

その叫び声は医者を病床につかせ

不治の病にかかったように眠らせる

漁火は夢のつきあたりで明滅する

船首で漁民はミサゴの首のひもを解いて

その足を船尾に縛る

ミサゴの羽から払い落とされた水の玉が

星々を濡らす

船は靴を履きつぶす 錆びた錨は

古里の埠頭を懐かしむ

雲は雲の中で熟睡して

ふわふわした枕が咲く夢を見る

時間の色で

深夜は海のものである

その底のない沈黙は一種の寛容のように

風を孕んだ帆のはためきを引き受ける

川は川に流れ 山は山にうねうねと延びている

水と石の腕は

大地としっかり組もうとしている

夜空に処女の寝言と歯ぎしりの音の記録

張り切った案山子の踊る一本足が

地の裂け目に深々と入ったり出たり

汗に浸された欲望に

女の押し殺した呻きが

深い夜をもっと深める

実は暗闇の奥処は紺碧である

豊作の秋のずっしりした祝福のように

子宮にまどろむ胎児の心のように

欢迎


本文编辑:佚名
转载请注明出地址  http://www.hongzhiyujina.com/hzyjkh/6186.html

热点文章

  • 没有任何图片文章
  • 没有热点文章
推荐文章

  • 没有任何图片文章
  • 没有推荐文章

Copyright © 2012-2020 虹之玉锦版权所有



现在时间: